常任委員のつぶやき

毎日がネコ曜日 ~弥生三月・ひな祭り~

 2022年2月22日、毎年2月22日は「にゃんにゃんにゃん」と数字の2が並ぶので「猫の日」に指定されている。今年は800年ぶりの更に特別な「猫の日」だそうで。


春の日差しの中でお昼寝
 
 半年前の9月、我が家に生後4か月のメス猫がやってきた。数年前からなぜか猫好きになり、時間を見つけては猫カフェに通っていた。どうせなら保護猫を迎えたいと思ったが、「独身・50代・初心者」は里親の条件としては、なかなか厳しいものがあった。
 それが、8月に知人から「昨日、知り合いの団体で捕獲した猫がいます。避妊手術を終えたらリリースする予定ですが、ご興味ありますか?」と連絡が入った。「猫が飼いたい。」と以前ポロっと彼女に話したのを覚えていてくれたそうだ。「あります!あります!!」と即答した。何も考えずに。
 写真を送ってもらったら、グレーと白の八割れ模様の美人さんだった。急遽預かりさん宅でお見合いが決まった。独身・50代は、「お見合い」という言葉にドキドキした。先方の預かりママさんと同居兄弟猫に気に入られたくて、人間と猫両方のお菓子をお土産にお宅に伺った。
 
 9月、殺風景だったリビングが彼女を迎えるための猫用品で溢れた。どうしてペット用品はこんなにカラフルなのか?アーバンライフな私の部屋?にふさわしいペット用品は、法外に高価だったりする。
 遂に預かりさんが彼女を連れて我が家にやってきた。契約書(念書)を記入すると聞いていたので、当日実印を用意していた。それほど迎えるこっちは真剣そのものだった。彼女は、賄賂のチュールを舐め終わると、すぐにケージの中のベッドの下に隠れてしまった。その日は一晩中、か細い声で鳴いていた。


 2日目ベッドの下が定位置

 最初の1か月、なかなか心を開いてくれなくて、このままこの距離のまま彼女と暮らすのかと、膝を抱えてケージの前で涙を流したのは、今となっては良い思い出。朝一からストーカーのように脚にまとわりつき、おもちゃをくわえて持ってきて遊びをせがみ、疲れると当たり前のように膝に乗ってグルグルと喉を鳴らして寝ている。
 
 今日は彼女の初節句。毎年、自分のひな人形を和室に飾っているが、今年はどうするかギリギリまで悩んでいた。古いものだし、壊されても仕方ない。「エイッ!」と思い切って3月1日に簡単に飾った。箱から出した時に「何これ?」という表情で五人囃子に一撃を喰らわしたが、その後は大人しく一歩下がってじっと見ている。もうすぐ10か月。人間でいうと女子高生。そろそろレディになってきたのか??


初めての桃の節句
 
 彼女の名前は「はるか」。私が鉄オタなので、JR西日本の特急から選りすぐって命名した。   
 続く。

K/T

お墓まいり

 先日の常任委員会にて、三輪田勉先生が今年7月にお亡くなりになりました三輪田芳子先生の納骨をされたことをお知らせくださいましたので、お墓にまいりました。

 その際に三輪田学園の創立者 三輪田眞佐子先生は、「青山霊園に眠る有名人・著名人」としてネットに載っていることも伺いました。
 「青山霊園 有名人」などと検索すると、三輪田眞佐子先生の墓地の番地、没年月日、経歴などが掲載されています。
 青山霊園(都立青山霊園)は、地下鉄銀座線外苑前駅から徒歩8分ほどのところにあります。一番近い出口は1bですが階段なので、4a、4bのエスカレーター、エレベータで地上に出て、青山通りを渡るルートをおすすめします。
 赤坂消防署入口よりしばらく歩くと左手に赤坂消防署が、前方に青山霊園管理所が見えてきます。

 霊園の入口には案内図の看板があります。都立霊園公式サイトにはPDFデータがありますのでそちらもご参照ください。



 三輪田家の皆様が眠るのは、「1ーイ15ー1(一種イ15号1側)」なので、この赤丸のところになります。


 
 掃除道具などは青山霊園管理所でもお借りできますが、入口の茶店でお榊を購入するとバケツと柄杓をお貸しくださいます。また、お水はお墓に近い水汲み場で入れることをおすすめします。

 中央の区道をひたすらまっすぐ進みます。今は枯葉シーズンですが、春は桜がきれいなことでしょう。


 
 やや広めの西三通りを過ぎると低いレンガ塀に囲まれた一画が見えてきます。こちらは明治時代日本の近代化に貢献された外国人の方々の墓地になります。ここで約半分のところまできました。



 しばし歩みを進めると、右手に「西九通り」の石柱が見えてきますのでここを右に曲がります。都道と交差する「青山墓地中央」の交差点の手前です。都道を渡ってはいけません。


 
 右手に注目しましょう。「一種イ7号」のゾーンを進むと水汲み場がありますので、こちらでお水を汲みます。次に「一種ロ14号」が出てきますがあわてずに進みます。ようやく「一種イ15号」の石柱が見えてきますので、こちらを右に曲がり三区画目が三輪田家の墓地になります。



 墓地には三輪田眞佐子先生のお墓と三輪田元道先生および三輪田家の皆様のお墓の二基あります。脇の墓誌には刻みあとも新しい三輪田芳子先生の名前がありました。本当にお亡くなりになったのだなあとしみじみと思いました。

 こちらでお眠りになっている皆様がご覧になっている風景です。改めまして、ご冥福をお祈り申し上げます。


髙井(高校40回)

「日本の響」に行ってきました


 スポーツの秋。読書の秋。食欲の秋。
秋の楽しみにも色々ありますが、会員の皆様はどのように秋をお楽しみですか?
私は先日、芸術の秋を楽しんできました。
 
 高校39回の長谷場由美さんが当HPの掲示板でご案内くださった邦楽の演奏会「日本の響」です。(10月2日、観世能楽堂)


 
 お待ちかね、長谷場さん(芸名:城ヶ﨑明雪勢さん)ご出演の曲は『乱輪舌(みだれりんぜつ)』でした。17世紀(江戸時代)に作曲された箏の器楽曲で、今までに様々な編曲や多種多様なアンサンブルが工夫されてきたそうです。今回は箏の8面編成。私はこの曲を初めて聴いたので、私にとっては「初バージョン」でした。変則的な裏打ちのようなアクセント音がさりげなく効いていて、格好良い曲だと思いました。
 
 全12曲の大取りは、「これまで〜なりや、嬉しやな」でお馴染みの『熊野(ゆや)』でした。
 
 熊野は、平宗盛の寵愛を受けている女性です。重病の母親のことが心配で、一刻も早く見舞いたい気持ちで一杯なのに、宗盛の命には逆らえず、仕方なく花見にお供します。
 
 この曲は、これまでに二回聴いたことがありました。
 
 一回目は国立劇場でした。大人数編成の演奏だったので、クライマックスの「これまで〜なりや~」は大変迫力があり、熊野の並々ならぬ喜びが伝わってくるようでした。
 
 二回目は山勢麻衣子さんの演奏会(紀尾井小ホール)でした。3人編成で、しっとりとした「〜嬉しやな」。表情には出さず、胸中で喜びを噛み締めている熊野が浮かびました。
 
 今回は5人編成でした。山勢松韻先生方の箏と麻衣子さんの三絃に加えて、笛があしらわれていました。高く遠くへ飛んでいくような笛の響きから、熊野の頭上に広がる景色が見えてくるようでした。
 
 能楽堂での演奏会には、着物鑑賞のお楽しみもありました。能舞台には、幕が降りることはありません。それゆえ、演奏者の立ち姿も見ることができます。黒留袖の裾模様をこれほど沢山見たのは初めてでした。
 
 中でも、松韻先生と麻衣子さんが演奏を終えて立ち上がった時には、「おぉ!」と声を上げそうになりました。
雑誌『美しいキモノ』で見た裾模様だったのです。(2021年秋号、8月19日発売、「山田流箏曲の人間国宝 六代山勢松韻さんと思い出のきもの」)
 
 芸だけでなく着物も五代から六代へ、六代から麻衣子さんへと受け継がれていることを同誌から知り、感銘を受けていました。
 
 その時は緊急事態宣言下であったため、「お二人の共演を観られるのは、来年になるかしら…」と思っていました。ところが、私の想像よりも早く演奏会が開催されて、本当に良かったです。
 
 素晴らしい演奏と、マスク着用を感じさせない唄に、もっともっと大きな拍手を送りたかったのですが、能楽堂を意識して、しとやかさを装い、拍手を控え目にしてしまったことが、今、少し悔やまれます。
 
 まだしばらくは感染再拡大の心配が続きそうです。一日も早くコロナ禍が収束して「これまで〜なりや、嬉しやな」と喜べる日が来ることを願いながら、観世能楽堂のあるGINZA SIXを後にしました。
 
37回D組 高橋千津子(河島)

十五夜に


今年も松操会誌69号の発送が終わり、編集部の仕事がひと段落しました。
終えられたことに、改めて寄稿してくださった皆様や広告を掲載してくださった皆様に、感謝いたしました。

今年も昨年に引き続き、緊急事態宣言、コロナワクチンの接種、オリンピック、パラリンピック、それに伴う交通規制など想定外のことが続き、先が見えない中、松操会の皆様が協力しあってできたと感じました。

私個人としては、編集部員として微力どころか役には立ってはおりませんが、仕事を進めながら、楽しい時を過ごさせていただきました。
ブルーインパルスを撮りそこなったことがきっかけとなり、十五夜の、この満月を撮ることができました。


2021/9/21 十五夜

「天の原 ふりさけみれば 」のごとく、会誌を読んでくださるみなさまも同じ月を見ていらっしゃるかもしれないと思うと感慨深いです。
これから、今号の反省会を経て次号へ取り組むことになるようです。また、続けさせていただけたら幸いです。

 
山本明子(高校30回)