常任委員のつぶやき

徒然なるままに…

 
令和二年最初の常任委員会でのこと。
 
『文京区弥生にある竹久夢二美術館で現在開催中の【はいからモダン袴スタイル展…「女袴」の近代、そして現代…】に、大正時代に撮影された袴姿の三輪田生の写真が展示されています。』と校長の吉田先生からお知らせがありました。生徒のひとりが袴のヒモにバックルを通し着用している姿が映っているそうです。
 
詳細は三輪田学園のホームページ内、校長先生のブログ【たま鑑】をご覧ください。

https://www.miwada.ac.jp/whatsnew/2019/12/post-1667.html
 
バックルかぁ~ 懐かしいなぁ~
大正時代は、まだ女子教育が普及していない時代ですから、当時の生徒達は三輪田生であることに誇りを持ち、今時の表現でいうと、三輪田愛が半端なかったのでしょうね~ その証が、≪袴にバックル≫に繋がったのかな。
 
 
という話題があった数日後、今度は同期の大森さんから、『このたび文京区の景観賞をいただきました!』という喜びのお知らせが届きました。
 
文京区の景観賞?
 
調べてみると・・・
 
文京区では、区内の良好なまち並みや建物、広告物、良い景観をつくるための活動などを「文の京(ふみのみやこ)都市景観賞」として表彰しています。

第19回文の京(ふみのみやこ)都市景観賞
https://www.city.bunkyo.lg.jp/bosai/machizukuri/keikan/toshi/keikanshou19.html


ほほう、なるほどね。
 
大森さんは、本郷三丁目交差点にある老舗和菓子店、【本郷三原堂】の社長さんです。


 
所在地:文京区本郷3-34-5
東京メトロ丸の内線「本郷三丁目」駅徒歩3分/都営地下鉄大江戸線「本郷三丁目」駅徒歩1分 
 
お母様も三輪田の卒業生です。
毎年三輪田祭の松操会バザーにも出店してくださり、何かとお世話になっております。
 
今回三原堂さんが受賞されたのは、周辺景観に配慮し、調和している優れた屋外広告物に贈られる【景観広告賞】です。
 
『看板の字体に老舗店の雰囲気が醸し出され、季節の行事を楽しめるガラス張りの飾り棚も行き交う人々の目を惹きつけます。』との推薦理由から受賞となったようです。
 
そして、こんな写真も送られてきました。
 

 
左が大森さん、右の方は…?
 
何とこちらも三輪田の卒業生で、現在文京区議会議員の山田浩子さん(旧姓 鷲頭)。
山田さんと大森さんは共にテニス部で、山田さんは2学年上のあこがれの先輩だったそうです。
お二人とも笑顔がステキ!
 
まだまだ寒く家の中に籠りがちになってしまいますが、お天気の良い日にお友達を誘って竹久夢二美術館に行き、『はいからモダン 袴スタイル展』で『はいからな三輪田生』の写真を鑑賞した後、東大の構内を散策、三四郎池を巡り、農学資料館に保管展示されているハチ公の内臓を観察(ハチ公はフィラリア症だった!)し、それから本郷三丁目に向い、本郷三原堂さんで美味しい和菓子をお土産に買って帰る、な~んて冬の一日はいかがですか?

 
髙橋智加子(高校32回)
 

ズンバに夢中

 松操会の仕事をお手伝いするのも、2019年12月で11年に!!
 三輪田学園の思い出は?と聞かれると、在学中よりも松操会の思い出のほうが多くなっているように思います。大先輩方から教えていただいた教訓や芳子先生や勉先生、吉田珠美校長先生からの為になるお話など、刺激的な11年でした。
 吉田先生は中一のときの担任でしたが、現在も当時と変わらない美貌を保っていらっしゃいます。私も少しでも若さを保ちたいとジム通いをしていますが、一人孤独にマシーンに向かうのはいささか重荷で、ことあるごとにお休みしていました。しかしこの春、平成の終わりを迎える少し前、ジム仲間から「スタジオプログラムに出てみない?」との誘いがあり『ズンバ』というダンスに初挑戦しました!

 やってみたら、とても楽しい!!今、ドはまりしています!!

 『ズンバ』はラテンの曲が多く、陽気なダンスで、スタジオでは先生の踊りを見様見真似で踊ります。曲もダンスも楽しいのですが、なんといっても私が出会ったズンバの真理子先生が、スタイル抜群、ダンスきれきれ、トーク絶品、海外ミュージックビデオばりのエロかっこよさがあります。先生に目が釘付けで踊ると、自分が上手く踊れているような錯覚に陥ります。余りにも見すぎてはストーカーのようになってしまうので、たまに先生から目をそらし、鏡に映る自分を見ます。すると急にテンションが下がってしまうので、最近はガタイの良い人の後ろを陣取り、鏡に自分が写らないようにしています。
 ある常連の方は「ズンバを踊りに来るというより、真理子先生劇場を見に来る感じ」とおっしゃいました。また別の常連の方には「参加者を見ているとこの人も真理子先生にはまったわね!とわかる。あなたもはまったわね!」と言われました。

 先生はいつも「出来ても出来なくてもいいですからね!」と言って、とても難しいステップをちょいちょいと踊ってくれます。こんなに楽しい時間にめぐり逢えるなら、これからも常にアンテナをピンとはり、嗅覚を鋭くし、人からのお誘いには出来るだけのって、未知の体験にもどんどんチャレンジしていこうと思います。ちなみに私を誘ったジム仲間はまったくハマらず、1回で卒業しました。きっかけはどこに落ちているかわかりません。
佐藤敏子(高校40回)
 

(出典:https://freshideen.com/

三輪田飴


10月5・6日の三輪田祭。初日は真夏日、2日目は冷たい雨とジェットコースターに乗ったようなお天気でしたが、たくさんの方々に松操会バザー会場にお越しいただきました。
 
皆さまに、お目当ての献品コーナー・手作りコーナー・食品コーナー・卒業生の出店コーナーでお買い物を楽しんでいただけたようで、ほっとしています。これも事前の準備はもちろん、当日のお手伝いの皆さまのおかげです。
この場をお借りして、お礼申し上げます。
 
さて、発売2年目の「三輪田飴」。バザー会場と中央棟二階応接室で、精鋭部隊の販売により今回も早々と完売いたしました。
昨年は赤色のリンゴ味。今年はカラフルな色のオレンジ味でした。「三輪田飴」という名前も一部で定着しつつあるようで、「今年もアメあるの?」と何度か会場付近で尋ねられました。
 
金太郎飴の要領で作るので、柄に手作り感が溢れていますね。
都内は9月も暑いので、10個入りの袋詰め状態で三輪田祭直前に納品されます。表のシールですが、実は印刷したものを常任委員がせっせと内職さながら貼っています。(涙)

お買い求めになられた方は、その姿を想像しながらご賞味いただき、ぜひお味のご感想をお聞かせください。
 
来年は、何味??
(K/T)
 
昨年のリンゴ味と今年のオレンジ味
 

夏の思い出

 
6・7月の長雨で涼しかった分、8月の暑さはさすがに身体に堪えました。
9月に入ってから、なかなか疲れが取れないようなだるさを感じている方が周りにも多いようです。
皆さま、この夏はどのように過ごされましたか?
 
卒業してウン十年。毎年8月になるとつぶやく同じ言葉・・・。
「追分に行きたーい!」
そう、晴れた日は浅間山がきれいに見える、東京よりマイナス5℃以上の別世界・軽井沢追分寮です。
 
まず、中学1年生のクラス単位の宿泊。
ちょうど学校生活に慣れたころ、数日とはいえ親元を離れての外泊ということで、2段ベッドで夜遅くまでおしゃべりが弾み、「早く寝なさーい!」と何度も先生に叱られました。
 
中学2年生からは憧れの合宿参加ですが、私は練習が(わりあい)ゆるい文化部に属していたので、先輩方のふだん知ることが出来ない一面を見たり、聞いたりで、楽しい思い出が一杯です。クラブを2つかけ持ちをしていたこともあるので、ひと夏に2度追分寮に行ったこともあります。
 
写真部の時は、撮影と称して寮の近くを散策したので、あの付近には詳しくなり、当時は「夏=追分でちょっとだけ優雅な夏休み」という図式が自分の中で出来上がりました。
 
卒業後何年も経ってからですが、調理の手伝いに12日間ほど追分寮に詰めたこともあります。育ち盛りの何十名もの生徒さんの食事づくりですから色々気を使うこともありましたが、献立を組んで、材料を発注して、やはりお手伝いに来てくれた後輩たちと朝から晩まで和気あいあい調理室で過ごしたのは、私にとって卒業後のクラブ活動という感じで、今もその時のことを懐かしく思い出します。
 
学園の追分寮は老朽化により、残念ながら現在使用されていません。
夏の合宿は、それぞれのクラブが探した快適な宿舎等で練習に励んでいるようです。
それはそれで羨ましいのですが・・・。
あの2段ベッドでまた、同級生や先輩・後輩達とたわいないお喋りをしたいと思うのは、私だけでしょうか?

 
K/T
 
 
 

図書室

 
梅雨入りしてから1か月。雨の降る休日は、皆さまどのようにお過ごしですか?
最近、仕事で調べ物が多く、地元のみならず隣の市の図書館にも出没しています。特に資料が揃った中央図書館は、どこも蔵書数もさることながら、閲覧席やレファレンスサービスが充実していますね。
 
40年以上も昔の話ですが、私の中学受験の際も三輪田の図書室の充実は、志望校選定の決定打になりました。施設だけでなく、「図書の時間」があり、他の教科同様、カリキュラムにしっかりと組み込まれていました。系統だった読み方をするようになったのも、司書の先生のご指導のおかげだと今になって改めて感謝しています。部屋の中に「つんどく」も何冊かありますが、忙しくても暇を見つけては本を手に取るようにしています。

昨年の学校案内は、本をモチーフにしたもので、「あぁ、三輪田らしいな」と思いました。本を広げた形は、まるで羽を広げた鳥のようですね。ページをめくる私たちを過去や未来、遠い外国やおとぎの国にいざなってくれます。
 
昨年の春の中学入学式に三輪田グッズ販売をした際、校舎の2階の踊り場で懐かしい大机を見つけました。
向かい合った四人掛け、仕切りにすりガラス入り。
懐かしく思った方は、同年代の皆さまでしょうか?
そう、以前の図書室の自習コーナーにあったあの机です。
新校舎・新図書室が出来ても、ここでひっそりと余生を送っていました。



今度、学校へいらした際は、ぜひご自身でご確認ください。
思わず腰かけて、本が読みたくなりますよ! (K/T)
 

 

京都への誘い<後編>

<前編>はこちら

明倫舎
 
 現在の住まい橋弁慶町は祇園祭の山鉾の一つである橋弁慶山を持つ山鉾町の一つです。そしてこの界隈は明倫学区と呼ばれ明倫小学校を拠点とする地区です。余談ですが、京都では明治の初めに学校教育を重要視して、地区毎に町人が資金を出し合って小学校を作ったために地区の結びつきが未だに強く、避難情報なども行政区画とは関係無くこの学区毎に出されるほどです。今は京都芸術センターとなっているこの明倫小学校の元になったのが明倫舎ですが、そう聞いて眞佐子先生の松山での明倫学舎を思い出しました。


 
 早速調べてみましたところ、芸術センターにある由来の銅版によりますと「天明2年(1782年)手嶋渚庵はその師石田梅若が創唱する所の心学を講習し鴨東三条北に明倫舎を設けた。子の和庵がこれを錦小路烏丸西入る占出山町に移し三代淇水その後を受け更に拡充に勤めたのでその門に入る者益々多きを加えた。その多くは市中の商人で、質素倹約信義を重んじて家業の繁栄をいたした。近世町人の精神修行の場として明倫舎はその中心としてあった。京都市が全国にさきがけて小学校の設立を企図するやいち早く明倫舎を転用し新時代の国民教育の基礎を定めた」とあります。残念ながら、他の資料をあたっても明倫舎と明倫学舎の結びつきを示す資料はありませんでしたが、三輪田眞佐子先生は 現在の京都府亀岡市で儒学者の家にお生まれになりましたし、手嶋渚庵の師石田梅若もまた亀岡市のお生まれだそうです。加えて、三代淇水の幕末の時期は幼児教育-女子教育にも取り組んでいたようですので、最初のご自身の塾を明倫舎に因んで明倫学舎と名付けられたとしても不思議ではありません。想像を逞しくして、若き日の眞佐子先生がこの辺りの生意気な商家の子供たちに祇園祭の鉾や山の古事の説明をしていらしたのではと思うと一気に祇園祭が身近なものに変わりました。 


祇園祭(おまけ)

 祇園祭は平安京以来の歴史に深く関わっていて、三輪田で学びました古文漢文歴史美術と知識全開にして楽しめるとても興味深いお祭りです。因みに元明倫舎、現在の京都芸術センターのある占出山町の占出山は神功皇后が出陣に際して肥前国松浦川で鮎を釣って戦勝の兆しとしたとする説話に由来し、神功皇后は安産の神としても有名です。 


 
 京都芸術センターの北側の私の住む橋弁慶町(京都の中心部の町は通りを挟んだ両側で一つの町となる両側町です!)の橋弁慶山は謡曲「橋弁慶」が由来で牛若丸と弁慶が五条の橋の上で戦う様を表しています。
暑い盛りですが、是非一度いらして下さい。宵山も模擬店がいろいろ出て楽しめること請け合いです。

 
河邊けい子(高校18回)