常任委員のつぶやき

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連載:戦後の支部70年 第一回 東海支部、休止

長い歴史のある東海支部の休止。このことが東海支部長より告げられたのは、本年の松操会誌(第72号、令和6年9月発行)の「支部だより」でした。その記事には「地域での三輪田同窓生との繋がり方が変化・・・」と。

「繋がり方」と聞けば、メールやLINEを思い浮かべてしまいますが、通信手段の話ではないことは私でも分かりました。母校から離れた地域での同窓生コミュニティが今の時代は求められなくなっていること。この現実を受け止め支部について再考せざるを得ないこと。東海支部の休止は、それらのことを我々常任委員に提起する大きな出来事でした。

そこで私はまず、支部の歴史を知りたいと思いました。支部はどのように始まったのか。どのような活動をしてきたのか。今回は東海支部の発足について調べてみました。

東海支部が松操会誌に最初に登場したのは第3号(昭和30年発行)でした。「名古屋にも同窓会が誕生」とのことで寄稿された記事には、「この楽しさは同窓会なればこそ」「これからは手芸の講習会を開く事や、犬山、岐阜等の観光地へのリクリエーション、映画、演劇の鑑賞会等の楽しい計画もございます」と、同窓生との交流の喜びが綴られていました。



例会の準備をした幹事さんらは会場探しに困ったようで「三百円の会費で四時間も五時間も粘れる所は狭い名古屋にはなくて」とありました。しかしご苦労の甲斐あって当日は「笑声で天井が吹飛ぶかと」思われるほどの盛況だったようです。

同記事には支部発足の経緯も記されていました。

「先輩十人位の方々は時々お集まり遊ばしていらっしゃいましたが、松操会名簿等で連絡が取れまして次第に卒業生の消息が判りこの度『松操会東海支部』と銘打って新発足致しました。」

発足時は戦後から10年。それまでの間、連絡先を互いに知っている同窓生の集りがあったことが伺われました。

スマホがなかった時代に、実家を離れて知らない土地で暮らすことになり同期の友とお喋りすることもままならなかった、という状況を想像すると、居住地域が近い先輩や後輩との交流がどれほど楽しかったことか。そこに支部の意義や役割があったのだろうと改めて思いました。

連載第一回の最後に、東海支部発足から69年もの間、交流の場を作り続けていらした諸先輩方に敬意を込めて感謝申し上げます。

   次回の予告:「松操会は校友会の東京支部だった」
高校37回 高橋千津子

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