常任委員のつぶやき

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女学生の修学旅行


「家を片付けていたら祖母の持ち物が出てきまして…」とお孫様から松操会へ送られてきたのは、12枚の絵葉書でした。

 

写真の白枠部分には、「(大正三年六月二日)三輪田高等女學校春季修學旅行紀念」「三輪田高等女學校大磯旅行之光景(大磯海岸の女生徒)A」「三輪田高等女學校大磯旅行之光景(滄浪閣庭園)」などと印刷されています。



「滄浪閣(そうろうかく)」は伊藤博文の大磯にあった別邸のち本邸

大磯停車場(現在のJR大磯駅)の写真は、開学100年および110年を記念して刊行された「三輪田学園百年史」や「三輪田学園110年のあゆみ」にも同じものが掲載されていました。


絵葉書 三輪田高等女學校大磯旅行之光景(大磯停車場)


「三輪田学園110年のあゆみ」より

この大磯停車場の写真は明治44年ということなので、明治の終わりから大正初期の三輪田高等女学校の修学旅行の絵葉書ということがわかりました。ほとんどの学生が木綿の着物に袴姿ですが、よーく見ると白いワンピースに白いつばの大きな帽子をかぶっていたり、髪型も結い上げている人、大きなリボンをつけている人、前はアップにして後ろは長く下ろしている人などそれぞれにおしゃれを楽しんでいる様子が伺えます。(履物も草履、ブーツとみなそれぞれ) 

ところでなぜ絵葉書なのでしょうか。

明治33年(1900年)に誕生した葉書は、明治40年に絵や写真を刷り込み、宛名面に宛先だけでなく文章を書ける絵葉書として使えるようになりました。同じ頃始まった日露戦争を一つのきっかけとして絵葉書の大ブームが到来しました。逓信省が日露戦争記念絵葉書なるものを発売したところ、多くの人が買い求め、友人、知人、親戚へと私信と共にニュースとしての日露戦争の様子を視覚的に伝えたのでした。戦争に限らず、明治天皇の崩御、皇太子殿下(昭和天皇)の立太子式、関東大震災などの出来事も絵葉書となりました。そして、もっと身近な出来事として女学生の修学旅行の様子も絵葉書となったのでした。
(参考文献:絵葉書で読み解く大正時代  学習院大学史料館 編)

この絵葉書は、写真として当時の様子を様々に語り掛けてくれる貴重な資料としてだけではなく、偶然とはいえ保存・保管性に優れていたという側面もありました。同じころプリントされた写真は紙が劣化して、縁がぼろぼろになっているものが多いですが、流通にある程度耐えられる前提で作られている絵葉書は割としっかりしています。印刷面のスレに気をつければ、まだまだ後世に大正時代の様子を伝えてくれそうです。

大切に保管してくださった八十子様、そして松操会へご寄贈くださったお母様(八十子様ご息女)、お孫様ありがとうございました。この場を借りて御礼を申し上げます。

takai

 

“女学生の修学旅行” への1件のフィードバック

  1. 小林 勤 says:

    ご丁寧な対応に感謝いたします。大量の写真や思い出の品の中から偶然にも捨てられずに私の目に留まったのは祖母と母の思い入れのせいかもしれません。
    当方に置いていても子供達や孫たちがどこまで目を通すことがあるかもわからないのでお送りさせて頂きましたが、何かお役に立てたのであれば幸いです。
    この文面印刷して母に見せたいと思います。

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