常任委員のつぶやき

常任委員のつぶやき

京都への誘い<前編>

上洛まで

 松操会常任委員の河邊(こうべ)けい子です。常任委員を20年近く勤めさせていただいたおかげで、18回生の同期だけでなく会員の皆さまと絆を作ることができました。生涯の宝物と感謝しております。
 この20年の間のことを思うとき、先ずはよく引っ越しをしたなぁということです。常任委員を始めたころは吾妻橋に住まっておりましたが、その後月島、浜町、曳舟と隅田川を上ったり下ったり、『引越』が趣味の夫に同行して、三年周期で転居し続けました。そして終に京都へ。しかし、上洛してもまだ引っ越しは続き、また三度転居しました。
 京都に移り住んで転居する度にその先々の土地が三輪田学園と浅からぬ関わりがあることに気付きました。そこで皆様にも是非京都にお越しいただいて、修学旅行とは一味違った京都を見つけるきっかけになればと思い、拙文をしたためました。 


京都での三輪田学園のご縁

 何と京都での初めての住まいは、三輪田学園の修学旅行の常宿だった日昇別荘の向かいの路地(京都ではロージと読みます!)を入った所でした。日昇別荘は娘も修学旅行でお世話になったところで、何か不思議なご縁を感じました。 

  
 
修学旅行と言えばもう一つ、私の半世紀ほど前の修学旅行の時に母に頼まれたお土産を買った「三條本家みすや針」の古い看板を、その日昇別荘のある三条通り沿いの商店街のビルとビルの隙間に発見しました。三条界隈の街並みもそうですが、京都というところは古いものが新しいものに混じって根強く頑張っているのを実感します。 



三輪田眞佐子先生の京都

 京都で二番目の住まいはどちらかと言うとオフィスが多く、三輪田学園とのご縁は無いものと思っていましたが、否々、眞佐子先生と繋がりがありました。地下鉄烏丸線で一駅の丸太町駅近く、京都御所の丸太町に近いところに、昨年放映されたNHKの大河ドラマ「西郷どん」で有名になった岩倉具視卿邸宅がありました。三輪田眞佐子先生は、慶応3年岩倉邸に招かれ卿の息女の教育を担当し、明治元年(1868年)に内殿侍講に任命されました。そして明治2年2月23日に岩倉卿の計らいで女流勤皇の志士の松尾多勢子らの媒酌で勤皇の志士三輪田元綱と結婚式を挙げられております。因みに、御所内の岩倉邸は他の公家邸と共に九条邸を残し撤去されてありませんが、岩倉卿の幽閉宅は同じく地下鉄烏丸線の終点の国際会館駅から2kmほど北に位置し、現在国指定史跡『岩倉具視幽棲旧宅』として観光施設となっています。
 
<後編>に続きます

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